大好きな世界遺産のコルディレラ棚田群と古代からの生活

 

1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたフィリピンのコルディレラ、

私はその3年後の1998年より写真の勉強を本格的に始めました。そして東京の新宿の

ギャラリーで展示されていたコルディレラの棚田群に出会い、自分が人間の営みと自

然の調和から生まれる棚田を好きなのだということを自覚しました。

それからは日本中の棚田を撮影に行き始め、そして中国各地の棚田に行き、スケール

の大きい棚田に感動し、ピストルが怖いけど勇気を出してフィリピンの山岳地帯コル

ディレラの棚田群を撮影するために2年連続2回通いました。

 

マニラから現地に行くまで車で約8時間、延々と続く田園風景を見ながらでしたが、

現地に近づくにつれ生活が古代に戻っていくタイムスリップ感を感じました。

あちらこちらに高床式の住居が見え始め、イフガオ族の姿を見ていると1,000年以

上前の農耕文明をそのまま見ている気分になりだしました。

途中いくつかの村に立ち寄り、高床式の住居を見せてもらい現地の方々といろいろ

と話をしました。驚いたのは田植えの時期というものがなく、植えて育って刈った

ら次を植えるということでした。日本のように季節感がない国はそういうものなの

だと学びました。

ただその影響で稲穂がとても貧弱でお米の栄養も少ないらしく、他にも食べ物がす

くないために子供が大きくならないことも知りました。日本だと1年会わないと小

さな子供は大きくなっているのですが、イフガオ族の子供たちは1年後の同じ時期

に行っても1年前とほぼ同じで成長している感じがなかったです。

 

今は10軒ぐらいホテルがあるらしいですが、私が訪れた時には現地バナウェとい

うところでは1軒しかホテルがなく、そこにまず1泊しましたが、棚田で朝日を撮

りたいから棚田に近い山小屋のようなところに泊めてもらいその後は撮影しまし

た。その際に道案内をして欲しくて現地の方に声をかけたら83歳のおばあさんが

一番いいところへ連れて行ってあげると言ってくれたので後をついて行きました

が、落差1mもあるあぜ道をスタスタと駆け上がり、ついていくのが精いっぱい

でした。

おばあさんはわらじのようなものを履き、泥だらけの土の上も石積みの上も軽快

に駆け上がっていき信じられなかったです。まだ私も若くて体力には自信があり

ましたが、山の麓から天辺近くまで一気に機材を持って行くのには息が切れたの

を覚えています。

 

必死になって駆け上がったので後ろを振り向く余裕がなかった分到着して下を眺

めた時は感動しました。生きるためにびっしりと紀元前から作り上げられたと言

われている棚田の造形の見事さは言葉では表現できなかったです。

後で知った言葉ですが、「天国に昇る階段」とこの地域の棚田のことを呼ぶそうで

す。私が感動して一生懸命撮影していると、その横で連れて来てくれたおばあさん

もしゃがみこんでじっと全景を眺めていました。

 

あまり知られていませんが、棚田という稲作農法は今風にいうと唯一自然の恵みの

みで継続して農作物を収穫できるサステナブルな農法なのです。

雨水を利用し、天水として上から下へ水を流していくことにより栄養分も各田んぼ

に運べ作物を育て続けることができる農法なのです。

昔新潟県安塚町で購入した本、「棚田はエライ」という本を読んで感動したことを

思い出しました。

 

コルディレラとはスペイン語で山脈という意味です。つまり他にもたくさんの棚田

があります。一つ一つ撮影に回りましたが、約2万kmも棚田がこの地域にはあるの

で全容はもちろんわかりませんでした。

でもその片鱗だけでも撮影し残せたことは今となってはとても貴重であることが最

近分かりました。

日本もそうですが、若者の都会への流出で高齢化が進み人出不足で耕作放棄された

田が増えて景観が維持できず2001年にはユネスコの危機遺産にも登録されているそ

うです。今は一体どうなっているのだろうと考えてしまいます。

 

★道中与太話

今はわかりませんが、私が訪れた時には現地の道は舗装されていないところが多く、

ジープでもやっと進めるような悪路の連続でした。それゆえマニラから乗って行っ

た車の運転手では対応できず、現地で別に車と運転手を雇いあちこちに連れて行っ

てもらいました。

観光レベルで見に行きたいバージョンと、本当に現地を知りたいバージョンでは違

う覚悟を持っていくべきところです。道もいつがけ崩れでなくなるかもしれません。

私も一度がけ崩れで道がなくなり、歩いて崩れた上を歩いて反対側に渡りそこから

別の車を借りたことがあります。日程には余裕を持って行くべきところです。